先に結論をいってしまうと、
この最後の2週間はバタバタしながらも最後まで無事やり遂げることができた。
期限が迫っていたのもあり、腹をくくって
「誰も決める人がいないので、私がいいと思ったら、いいじゃないか!」という気持ちでどんどん決めてしまったのがその理由の1つだと思う。
そして、何より実際に手を動かすデザイナーやコピーライターの功績によるところが大きい。期日に間に合わせるために、夜残ってくれることもあった。
私はデザインやコピーライティング、Webサイトのデベロップメントなど、エクセキューションワークができない。基本的にできることはプランニングやディレクション、マネジメントで、なるべくエクセキューションメンバーの障壁を取り除いてあげることが役割だった。
実際に手を動かしている人が周りにいる中で、私は無力感を感じたのを覚えている。自分が提供できる「価値」は何だろうと常に考えさせられていた。
特にバンクーバーは小さい会社が多い。1人1人が「その人が出来る事」を理由に採用されて、組織が作られている。
例えば私の会社では、コピーライター、デベロッパー、クリエイティブディレクター、アカウントマネージャー、オペレーションマネージャー…などとそれぞれが「ある明確な役割」を持って仕事をしている。
日本のようにジェネラリストを育てる文化は皆無で、専門を決めたらそれに突き進む。そしてその専門性を持った個が集まる事で、会社として成り立たせているのだ。
専門知識やスキルを持って、ガツガツと自分の出来ることを進めていく同僚を見ながら、「私に出来る事は何なんだろう…」と悶々とした時もあった。
そんな中、迎えた最後の2週間。大変な事の方が多かったが、この2週間は私の本当にやたいことを再認識させてくれた期間でもあった。
ボスやクライアントが不在で、自分主導でプロジェクトを回さざるを得ない状況になり、前職で経験を積んだプロジェクトマネジメントの経験がダイレクトに活かされたのだ。
新しいブランドポジショニングに沿ったWebサイトの修正、Sales Brochureの制作、B8ta出展準備、新ブランド名、新ロゴのプレゼンテーションなど、本来ならば数ヶ月かけて行う仕事を、チームで協力しながら2週間でクライアントが満足するレベルで達成出来たのは、自分にとっても大きな自信になった。
そして、この期間を経ることで、私が力を発揮できるのは前職でやっていたようなブランドマーケティングなど、ある程度規模のある会社で大きなプロジェクトを動かせるような仕事であることに気づいた。
地方都市のバンクーバーでそういう会社を見つけるのは難しいことが就職活動での経験を通してわかった。なので、早いうちに日本に帰って次なるステップアップをした方がいいのでは?と思うようになった。
このマーケティングエージェンシーでの契約期間は3ヶ月。先方から延長もオファーされたが、断ることにした。今後は日本に帰って、マネジメントの経験をして、ブランドマネージャーの仕事を目指していくつもりだ。
本編を執筆している段階では私は最後のバンクーバーの夏を謳歌している。これから日本に帰国し、本格的に次のステップに向けて動いていきたいと思う。
そして本編で、私の海外就職ストーリーは最終話とさせていただく。
最後に、これからバンクーバーでの就職を考えている人たちへのメッセージで私のストーリーを締めたいと思う。
まず伝えたいのが、バンクーバーでの就職活動は日本とは全く違うということ。
「あなたは何が出来るんですか?」
という質問に明確に答えられる準備をしてほしい。
これはスペシャリストはもちろん、ジェネラリスト(総合職)でキャリアを積んでいる人にとっても同じ事が言える。
日本の就職活動・転職活動では「どこの会社でどんなプロジェクトに関わった」という経歴を含めて、評価してくれる場合が多い。
北米ではそこから一歩踏み込み「何が出来るか」という事を重視するのだ。むしろそちらの比重が高い。
極端に言えば「あなたが何者であっても、今会社が必要としているポジションに合致するスキルがあれば雇う」という考え方である。
私自身も、自分の出せる価値とは何かを何度も何度も向き合い続けることになった。
おそらく日本で働き続けていたら、ここまで考えなかったかもしれない。
海外で就職を検討している人にオススメしたいのが、バンクーバーに関わらず挑戦したいと思っている都市の「求人」をチェックする事だ。
関連する職種でどのようなスキルが求められているのか、自分に足りないスキルは何かを把握する事ができるだろう。
そして、特にバンクーバーでの就職活動では「コネクション」がやっぱり何より重要だということ。
この点は日本の就職活動と大きく異なる。特に規模が小さい会社であれば、社内のリファレンスで人を探すというころも一般的だ。
個人的な感覚だが、企業が採用活動で重視している順で並べると
「社員からの紹介→知人からの紹介→Linkedinなどでの接点→イベントなどでの接点→SNS経由の求人募集→人材エージェント→Indeedなどの人材紹介サイト」になるだろう。
自分も含め、多くの日本人はまず「Indeedなどの人材紹介サイト」での応募からスタートするだろう。普通の就職でもバイトでも、日本ではそれが普通だからだ。
ただ先にも紹介したが、Indeed経由で応募した会社から返事が来たのは、2−3ヶ月後である。企業にとっての優先順位の違いを理解しておく事が重要だ。
就職を考えているなら、バンクーバーに着いたらすぐにコネ作りに励むべき!といっていいほどコネは重要だと実感した。
具体的には、関連する業種のイベントに参加する、Meetupのグループに入るなどである。私の場合、まずは英語学習に専念して、英語がある程度喋れるようになってから、コネ作りに動いたが、これでは正直遅すぎたと思う。
最後の最後に、留学・就職関係なくバンクーバーに行こうか迷っている人がいれば、来るべきだと思う。
どんな年齢からも遅くない。実際、30-40代の社会人、小さいお子さんを連れて親子で留学している人、子育てがひと段落した私の親世代の人にもたくさん会った。
私は、留学〜就職という形で1年半バンクーバーに滞在したおかげで「全く英語が話せない人」から、完璧ではないが一応「英語で仕事が出来る人」になった。
価値観も広がったし、世界中に友達が出来た。
そして最も良かったと感じたのは「新しい事に挑戦するハードルが劇的に下がった」という事だ。
私が留学を決意したのは29歳、アラサーになってから。アラサーというと社会人歴が6-7年に突入し、ポジションを築き始める年数だ。
大きな仕事も任せられるようになり、良い意味で成長の安定期に入ると思う。ただその一方「環境を大きく変えること」へのハードルを非常に高く感じるタイミングでもある。
実際私がそうだったかもしれない。保守的な思考に傾いていた私の頭をガツーンと叩いてくれたのが、カナダでの生活だった。
当然失敗することもあるが「人間やれば出来ないことなんてない」と思わせてくれた。
「出来ない出来ない」と言っている間は「一生出来ない人」のだ。
少しでも気になるなら、まずは短期間でも来て体験してほしい。
決断した自分への自信、滞在中に経験する全てが後々の大きな財産になると私は思う。
(終わり)
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[ブランドマーケターのバンクーバー留学ストーリーの一覧]
第0話: ブランドマーケターのバンクーバー留学ストーリー
第1話: あるきっかけ
第2話: 英語への憧れと留学への決意
第3話: 留学前のラストスパート
第4話: カナダ到着、学校初日、早速の危機感
第5話: バンクーバーでの英語学習 Part 1 「Eh+」
第6話: バンクーバーでの英語学習 Part 2 「Sprott Shaw College プレゼンテーション強化コース」
第7話: バンクーバーでの英語学習 Part 3 「ランゲージエクスチェンジ」
第8話: バンクーバーでのバイト探し
第9話: Co-opプログラムとインターン
第10話: インターンからアルバイト、そして帰国
第11話: 日本帰国とバンクーバー再渡航
第12話: 就職活動、苦悩、意外なきっかけ
第13話: 見込み薄のミーティング 、そして…
第14話: 初サンフランシスコと初英語ミーティング
第15話: 英語リサーチとクライアントの説得
第16話: Trademark問題、Amazonストア、ブランド名の変更
第17話: 最後の2週間とこの先