今回はNYのジュエリーデザイナーAkari Cassidyさんにインタビューをさせていただきました。 Akariさんはデザイナーとして 日本の広告制作会社にて、企業のプロモーションイベント企画や広告制作に携わり2013年にNYに渡航。 NYでアートディレクター/グラフィックデザイナーとして日本企業の北米マーケット進出のための、ブランディングやパッケージデザイン、プロモーションイベントのオーガナイズ等のマーケティング業務を行う傍ら、ご自身のジュエリーブランドSasai Jewerly を経営されています。
本記事ではインタビュー記事前編ということで、なぜNY行きを決意したか、自身のブランドSasai Jewerlyを立ち上げた話、その成長の経緯と葛藤を聞いていきます。
Akari Cassidy(アカリ キャシディー): 多摩美術大学工芸学科博士課程を修了後、公立中学校の美術教師として一年勤務。その後デザイナーとして広告制作会社に勤務し、様々な企業のプロモーション・イベント企画や広告制作に携わる。退職後2013年アートディレクター・グラフィックデザイナーとして、活動の拠点をニューヨークに移す。
日本企業による、アメリカ、カナダ、ヨーロッパマーケット進出のための、ブランディングやパッケージデザイン、プロモーションイベントのオーガナイズ等のマーケティング業務に携わるかたわら、手作業による制作活動を再開する。手仕事で感じる喜びを再確認する。
自身の手作業によって生まれる機能性とアート性の双方を持ち合わせた工芸的価値を、アートディレクションで培ったブランディングの感覚によって発表するという、自身の新たな試みとして、2016年ハンドメイドジュエリーブランド「SASAI」を立ち上げる。
「日本の広告業界を離れNY渡航を決断した理由 | Sasai Jewelry Akari Cassidyさんインタビュー #1」
「NYのジュエリーブランド Sasai Jewelryの立ち上げ、成長と葛藤 | Sasai Jewelry Akari Cassidyさんインタビュー #2」
(※以下の記事はインタビューのハイライトです。)
日本の広告業界を離れNY渡航を決断した理由
野村:
日本の広告業界を離れ、NY渡航を決断した理由について教えて頂けますか?
Akari Cassidyさん:
1つ目の理由は、英語ですね。話せるようになったらいいなと、いつも思っていました。
2つ目は、仕事ですね。広告制作会社の仕事は本当に忙しくて、だんだん体調が悪くなってきてしまったんです。その頃、震災があったり、そしてプライベートも上手くいかなかった時期でした。
それからすぐに会社を辞める決断をしたんです。辞めてから友達と仕事を始めたのですが、何となくモヤモヤした気持ちが続き体調も優れず、パニック症候群の症状もありました。
精神的、肉体的にも疲れ切った状態で、どうしていいかわからなくなってしまいました。仕事自体は楽しんでやっていたのですが、脱出したいという気持ちがあったんです。
野村:
そこから何故海外に目が向いたのですか?
Akari Cassidyさん:
元々は海外に長期滞在したいなんて夢にも思っていなかったです。大学院時代の友人でアメリカ出身の方がいたのですが、「AkariはNY好きになると思う!」という一言を言ってもらって「そうかNYか、行ってみようかな」と思ったのがキッカケですね。
それまでNYには一度も行ったことがなかったので、まず妹と母を誘って旅行に行きました。そこで帰りのチケットを捨てて、私だけ残ることにしたんです。笑
野村:
そうだったんですね。笑
Akari Cassidyさん:
はい。まずは何もしないで3ヶ月だけ滞在しようと決めました。語学学校だけ通って、仕事のメールも見ないようにしていました。
3ヶ月後に帰国するつもり満々で来てたのですが、3ヶ月で出来ることって限られてるんですね。英語に関してもまた流暢に喋ることができず「やり遂げた事がない」と感じ、もう少し滞在したいという気持ちが湧き始めました。
そこから一度日本に帰って、仕事をしてお金を貯めて半年後にまたNYに戻ってきたんです。それからあっという間に5-6年経ってしまいました。
野村:
そうだったんですね。
Akari Cassidyさん:
はい。私の場合、渡米した理由は「夢いっぱい希望いっぱい」というような感じではありませんでした。
性格上、身の回りにあるものを集めて一生懸命考えることは好きでしたが、元々は臆病なタイプなんです。心地がいいと感じる領域を自ら超えて、切り開いていくタイプではありませんでした。
野村:
意外です、そうだったんですね。
Akari Cassidyさん:
仕事に関しても、大きな一歩を踏み出していくというより、目の前のことを一生懸命にやるという方が得意だったんですよ。
何かを大きく変えるには、意外と落ちるところまで落ちてみても良いのかなと思いましたね。笑 落ちた時期がなければ、きっとNY行きを決断出来ていなかったです。
野村:
NYでの生活はどのように感じましたか?
Akari Cassidyさん:
家族が帰った次の日は、寂しくて1人で泣きましたね。笑
泊まっていたエリアは110丁目あたりで、ハーレムと言われているところでした。今考えるとそんなに危ない場所ではないのですが、とにかく色んな国の色んな人種の人がいて「すごいところに来てしまった…」と思いましたね。
ただ次の日から学校に行き始めたり、色々なところに行ったり、生活をしなきゃと気持ちを切り替えました。
野村:
なるほど。
Akari Cassidyさん:
最初はコーヒーを頼むのでさえ、不安でドキドキでした。ただ自分が不安に思っているだけで、周りは誰も気にしていないという事に後から気付きましたね。
特にNYは色々な国の人が色々な国の言語で話してて、自分だけがアウェーな訳ではないんだと感じました。例えば、道端や電車でも知らない人と会話をしたり、皆とても親切でした。
そんな環境で生活することがとても心地よかったんです。気付いたら精神的にも安定して、不安神経症の症状も無くなっていて、日本にいた時に感じていた鬱屈した感じがなかったんですね。
野村:
なるほど。日本でやっていた仕事は引き続きやられていたんですか?
Akari Cassidyさん:
はい。学校に行きながら、時間を見つけて仕事は継続していました。
1-2ヶ月だけ日本に帰って仕事をしたりすることもありましたね。
NYでは、日本の企業で「アメリカで商品をローンチしたいから、お披露目のイベントを出来ないか?」というような仕事の依頼もいくつかもらいました。
自分と一緒に仕事もNYに着いてきたという感覚で、ラッキーだなと思うことが何度もありました。
野村:
それは良かったですね。
Akari Cassidyさん:
はい。友達の紹介で、欧米進出したい日本企業の支援する会社の人と出会って、ブランディングやパッケージデザイン、トレードショーのブースデザインなどお仕事をさせて頂いていました。その会社さんとは今もお付き合いがあります。
NYのジュエリーブランド Sasai Jewelryの立ち上げ、成長と葛藤
野村:
ブランドを立ち上げたきっかけについて教えて頂けますか?
Akari Cassidyさん:
フリーランスでお世話になっていたクライアントのオフィスが、ミッドタウンのガーメントディストリクト、ダイヤモンドディストリクトと言われるエリアの真ん中にあったんですね。
少し時間が出来た時に、そのエリアをウロウロして、問屋さん材料屋さんに立ち寄ってみたのが最初のキッカケですね。
そこで買った材料を使って、刺繍をしたり、編んでみたり手作業しているうちに、とても楽しくなってきたんです。
会社に入って仕事を始めると、PCに向かっている事が多くなりますよね。元々大学では手作業ばかりしていたタイプだったので、実際に物質に触って物を作るのが楽しくて楽しくて、どんどんエスカレートしていきました。
「今度このパーツのところに行ってみよう」とか、「この金属を合わせてみたらどうか」とか色々やりたい事が増えていきましたね。
野村:
そうだったんですね。
Akari Cassidyさん:
ブランドとして立ち上げる最初のキッカケとなったのは、友人の一言でしたね。洋服のブランド・お店を運営している友人が日本から遊びに来た時「面白いね、売れるかもよ!」と言ってくれたんです。
当時、ガーメントディストリクトでたくさんの色んな糸を見て感動したんです。たくさんの色の糸を使ってタッセルを作ったり、割とアフリカンテイストでクラフト感満載のジュエリーを作っていたんです。
参照: Akariさんが当時作っていたアフリカンテイストのジュエリーのルックブック
参照: Akariさんが当時作っていたアフリカンテイストのジュエリーのルックブックその2
その友人からは、日本は今クラフトの流れが来てるから、早くやった方がいいよと言われました。
さらに他の友達に見せたら「自分でやっているブランドのルックの撮影するからジュエリーを貸してくれる?」という話や、スタイリングで使ってくれたりという事もありました。
他にも、NYでブランドをやっている友人から、自分のボスに見せたいからという事で「ルックブック」と「ラインシート」を送ってほしいと言われて「ない…」と思って慌てましたね。
ルックブックとはカタログのようなものです。この件があって、きちんと「ブランド」という形で立ち上げる事にしました。
参照: Sasai Jewerlyの2020年用のルックブック表紙
参照: Sasai Jewerlyの2020年用のルックブックのページその1
参照: Sasai Jewerlyの2020年用のルックブックのページその2
Akari Cassidyさん:
ブランドとしてどのように見せるかという事は今までやってきた仕事なので、自分のブランドでもやってみようと思ったんです。
今までの仕事は、クライアントがいて、その意向に沿って提案していましたが、今回は言うなれば自分がクライアントですよね。自分自身で良い悪いを決めて、撮影や展示も自分で行いました。
野村:
なるほど。
Akari Cassidyさん:
はい。友人からは「セールスの担当をつけた方が良いんじゃない?」とエージェントさんを紹介してもらったんです。
そのエージェントさんに色々とお世話になりながら、年2回のコレクションに向けてラインシート作りに励みました。
旦那からは「パーツの組み合わせだけじゃなくて、オリジナルのパーツを作ってみたら?」とアドバイスをもらったのですが、最初は出来る訳ないと思っていたんです。
よく考えたら、今の時代インターネットを使って学ぶ方法があるじゃないですか。Youtubeやブログなどを見ながら自分で挑戦してみることにしたんです。
スタートしてから2-3回のコレクションは、量産、納品も全部自分でやっていましたね。
ただ、作るのが好きという事と、作ることを仕事にするのは別の話なんだなと後で気づきました。マーケットに出して、リアクションをもらって、恥ずかしい思いも嬉しい思いもしました。
そういうライブ感を楽しめる時期もありましたが、私の体の一部のような大事な作品をどうこう言われたくない、少なくとも知りたくないという時期もありました。
野村:
そうだったんですね。
Akari Cassidyさん:
はい。それと同時に自分が短期間でやった事は、他の誰でも出来るんじゃないか?これから食べていけるのか?という不安な気持ちもありましたね。制作に関して、もっともっとレベルを引き上げていかないと、と思いました。
さらに価格や原価の計算など金勘定の面も含め、誰にどんな形で売っていくのかなど、ビジネスの面でもよく考えましたね。特に卸売なのか?小売としてお客さんの反応を見たいのか?という点は、悩んだ決断でしたね。
結局、私は直接マーケットで売り出すという事よりも工房にこもって制作することにより喜びを感じるという事に気付きました。
セールスをして「自分の作品がこんなに良いんですよ!」と言うことに、何となく違和感があったんです。
野村:
ブランドを運営している中で、大事にしている事、意識している事はありますか?
Akari Cassidyさん:
自分がやりたい事であるかは重要だなと思っています。こういう人に、こういう感じでつけてもらいたいな、というストーリーが存在する場合もあります。
あまりコンセプトに縛られると作れなくなってしまうので、これは良いかな、どうかなと自問自答しながら作っていますね。そのプロセスが私にとっては楽しいんです。ロジックではないですね。
先に頭で考えると、幅が狭くなるので、素材とたくさん遊んで、汚くなりながら彫刻的な仕事をしている時が喜びですね。
その中で、ビジネスと自分の思いのバランスを取る事は難しいなと思いました。情熱のあることに、なかなかお金が集まらない事もありますからね。
クリエイティブの領域で海外を目指す人に一言
野村:
クリエイティブの領域で海外に挑戦したい人に、何か一言頂けますか?
Akari Cassidyさん:
まず海外に渡って来たからと言って何かがすごく変わるという事はありません。自分自身が変わることが重要だと思います。
自分にとって心地が良いゾーンから背中を押して少し外に出て、ちょっと具合が悪い事でも、続けてみるとすごい世界が見えてくるんだと思います。
日本では体験できない多様さや、目が飛び出る様な価値観に出会う事があります。
日本は皆が同じ様な教育を受けているので、同じ知識を持っている事が普通なんですね。海外に来ると一回それが壊れると思います。とても意味がある事だと思います。
海外に出てファッション業界で働きたいというような夢を持つ事はとても良いですが、もっと大きく捉えて人生にチャレンジしてもいいかもしれません。
あまり重たく考えず、まずやってみる事ですね。私も最初は失敗したら恥ずかしい、NYに行ったのに何もして来なかったと思われたくない、という気持ちがありました。
ただ徐々に、そういう気持ちさえバカバカしいという気持ちになってきましたね。まず一回外に出てみる事をオススメします。
不思議なことに、勇気を持って一歩踏み出すと何もないって事はないんです。それがすごく面白いと思います。
Akariさんへのインタビュー特別編「NY進出時に押さえるべきブランドデザイン3つのポイント」につづく