昨年3月1日に最初の新型コロナウイルス感染者が報告されて以降、世界中の人たちを惹きつけてきた街から人が消え、一時はゴーストタウンさながらの状態となっていたマンハッタン。
それから1年以上の時を経て、5月半ばに一部規制が緩和され、6月15日には州知事による新型コロナウイルス終息宣言がなされました。それと同時に、長いインドア生活からの解放を祝うかのように街には人が溢れ、ニューヨークは完全に復活しました。
長引くパンデミックで大きな打撃を受けたビジネスは多いですが、ニューヨークの街でのその代表格は飲食業界。今回は、前代未聞の危機的状況を乗り切るために、レストランオーナーたちが生き残りを賭けて取り組んだゴーストキッチンというユニークなビジネスモデルに焦点を当て、コロナ終息後、新たな展開を見せているその姿もお伝えします。そこからは、ピンチをもチャンスへと変えるアメリカ人のたくましさや柔軟な発想力、そしてニューノーマル下での新しい飲食ビジネスの姿が見えてきます。
目次
ゴーストキッチンとは?
アメリカでは、新型コロナウイルス発生前からフードデリバリービジネスが広く普及していました。
ニューヨークを代表するドラマ、“Sex and the City”でも、弁護士で忙しい女性が毎日おなじみの中華料理屋さんに同じ夕飯を注文しているシーンが出てきていたのを覚えている人もいらっしゃるかもしれません。
新型コロナウイルス発生前は、夕方6時を過ぎると、食事を取りに降りてくる注文主を待つフードデリバリーの配達員たちがオフィスビルのロビーにずらっと並んでいる姿をマンハッタンではよく見かけました。
マンハッタンを忙しく走り回るフードデリバリーのドライバー
こうしたフードデリバリー文化の浸透と相まって生まれたゴーストキッチンは、レストランのように看板を出した店舗はなく、宅配用の食事のみを提供する調理施設の総称です。その別名はクラウドキッチンやバーチャルキッチン。
「ゴーストキッチン」という用語が最初にメディアに登場したのは、2015年と言われています。しかし、調理施設として必要な免許を取得していない場所をゴーストキッチンとして利用する事例が見られたり、市への登録が適切になされていなかったり、といった問題点もあり、主要デリバリーサイトからゴーストキッチンは姿を消しました。
それから時を経て、新型コロナウイルスによるパンデミックの状況下で、店内飲食の禁止や収容人数の制限など、多くの規制を受けたレストラン業界が苦肉の策で始めたゴーストキッチンが、今、大きな広がりを見せています。
ゴーストキッチンが注目される3つの理由
ゴーストキッチンは、パンデミックにより人々の外出が制限され、レストランが多くの規制により通常営業が難しかった状況で最適なビジネスモデルで、パンデミックの間に急速に広まりました。
事業主にとってのゴーストキッチンならではの3つの魅力を見てみましょう。
- 経費節減
- 容易なテストマーケティング
- 低い参入障壁
1. 経費節減
ゴーストキッチンの開業にあたって必要な場所はキッチンのみであることから、家賃や人件費といった飲食ビジネスの主要な経費を大きく節約することができます。飲食スペースが不要なことから家賃を最小限に抑えることができる上に、通常のレストランと違い、人通りの多い場所に拠点を構える必要がないため、家賃の安いエリアで営業を行うことが可能です。
さらには、店内飲食がないためにウエイターやウエイトレスがいらず、人件費も大幅に節約できる他、店内の改装費用やメニューの印刷代など諸経費も削減することができることも大きな魅力です。
2. 容易なテストマーケティング
実店舗がないことによる魅力は費用削減だけではありません。ブランドイメージはオンラインのみで作ればよいので、新しいブランドを容易に立ち上げることができます。
また、注文はオンラインで行われるため、顧客データの収集と分析を行いやすく、そうした分析結果を利用してメニューの開発や改良をできるというメリットもあります。
3. 低い参入障壁
通常のレストラン経営と比べて低コストで容易に始めることができることから、ゴーストキッチンから始めて事業が軌道に乗ったら実店舗を出そうという人もいるようです。
パンデミックの間は、遊休化したホテルのキッチンを安い価格で借りてゴーストキッチンを始めた人もいたそうですが、ホテルのキッチンであれば必要な調理器具も揃っていますので、初期投資はほとんどかかりませんし、ホテルにとっては稼働していないキッチンを使ってくれて家賃の一部を払ってくれる人はありがたい存在でした。
郊外にキッチンを設けることで固定費の削減になる
レストラン業界の救世主?!ゴーストキッチンの多様な形
ゴーストキッチンには様々なパターンがありますが、そのいずれも、従来のレストランビジネスモデルとは一線を画していて、パンデミックだからこそ生まれたアイデアと言えるでしょう。
既存のレストランが、自社の食材や人材を共有しながら、ゴーストキッチンという形で全く新しいブランドを立ち上げたケースがその一つです。従来であれば、既存のレストラン事業だけで手いっぱいだったはずが、パンデミックでの度重なる規制の変更で先行きが見えない中、追加費用をかけることなく売上をなんとか増やそうとした苦肉の策です。
ニューヨークのゴーストキッチン3つの事例
逆に低コストで新規事業を始められるというゴーストキッチンの利点を利用して、ゴーストキッチンという形から自身の夢を叶えた人たちもいます。
Cutlets Sandwich Co.,
マンハッタンのパン屋チェーンで知られるZARO Bakeryの創業者の孫は、閑古鳥が鳴くタイムズスクエアのシェラトンホテルのキッチンを利用して長年あたためていたカツサンドのビジネス、Cutlets Sandwich Co.,を始めました。
Galinha, Universal Taco, Shai
野菜中心のカジュアルなチェーンで成功したLittle Beetのオーナーは、SOHOのゴーストキッチンを利用して、Galinha (ポルトガル料理)、Universal Taco (タコス)、Shai (イスラエル料理)という3つの異なるブランドを展開しています。
参照: Galinha
また、デリバリー範囲の拡大を目的としたゴーストキッチンも広がりました。従来はデリバリー対象外だった地域への参入を目的として、そうした地域にゴーストキッチンを作り、オンラインオーダーを受け付けたのです。
Stone Bridge Pizza & Salad
農家直送の新鮮な素材を使ったことで知られるStone Bridge Pizza & Saladは、パンデミックの期間にゴーストキッチンの施設を借りて、マンハッタン内でのデリバリー地域を拡大しました。
参照: Stone Bridge Pizza & Salad
お互いのキッチンの貸し借りを行い、協力するケースも
さらにユニークな形態は、同業他社がお互いのキッチンを貸し借りするというゴーストキッチンのスタイルです。パンデミックにより、多くのレストランが低い稼働率の中での高い家賃負担に苦しんでいる状況下で、同業他社同士が手を組むケースが見られたのは、固定概念に囚われないアメリカらしい現象かもしれません。
マンハッタンでMoonrise Izakayaという日本の居酒屋風レストランを経営するJacobさんは、City Dumplingというオンラインのみのレストランのゴーストキッチンを請け負い、自らのレストランのキッチンで他社の餃子を揚げていました。
参照: Moonrise Izakaya
キッチンを貸し出すレストランにとっては、大きな負担となっている家賃の一部を別のレストランが負担してくれるという利点がある一方で、ゴーストキッチンの依頼主であるレストランは、宅配範囲を拡大できて売上の増加につながる上、食材の無駄をなくし、人余りが生じている店舗の人材を有効活用できる画期的なアイデアです。
ゴーストキッチンを借りているレストランは、その場所には自社の看板も出さないため、外からは分かりません。自分がオンラインで注文した食べ物が、全く別のレストランで作られて届けられているかもしれないという面白い現象が生じています。
ゴーストキッチン向けのスペースレンタルサービスも
ゴーストキッチンの急速な拡大を受けて、ゴーストキッチンのスペースレンタルを行う会社も増えています。
いわゆるシェアオフィスのキッチン版。広い場所を小さなスペースに小分けし、それぞれのスペースにキッチンや調理器具が整ったキッチンスペースを作り、そのスペースをレストラン事業者に安価な価格で提供するのです。
その代表格はZuul。前述のLittle BeetのオーナーやStone Bridge Pizza & SaladはいずれもSOHOのZuulのゴーストキッチンを利用しています。
参照: Zuul
また、同じくデリバリー専用のシェアキッチンを提供していている会社として、CloudKitchensも。女性2人が創業したNimbusは、マンハッタンのゴーストキッチンスペースに隣接してイベントスペースも設けています。
パンデミックのように先の見えない状況が長期化していた状況下でも、新しいビジネスに果敢にチャレンジする精神は、リスクを恐れないアメリカ人らしい精神と言えるかもしれません。
ニューノーマル時代にさらに進化しつつあるゴーストキッチン
パンデミックの終息とともに街には人が戻り、レストランのデリバリー収益は減少傾向にあるとも言われています。長い巣ごもり生活に飽きて、外での飲食を楽しみたい人も多いことでしょう。
当初はパンデミックを乗り切るための苦肉の策であったゴーストキッチンですが、一部の大都市では、ニューノーマルに合った形で新たな展開を見せています。
ゴーストキッチンは、その名の通り、存在がお客さんには分からないバーチャルな空間であることがその特徴でした。しかし、現在では、実店舗を構える動きが出てきているのです。
ゴーストキッチンの先駆けとも言える会社、C3(Creating Culinary Communities)は、マンハッタンとアトランタに、ゴーストキッチンの実店舗を開くことを公表しました。11月にマンハッタンのショッピングモール内にオープン予定のフードホールは、複数のファーストフード店やレストラン、カフェやバーなど15のブランドが一つのキッチンをシェアし、シェフも複数のブランドを掛け持ちするという斬新なアイデアです。
参照: C3
そして、その先に見据えているのは、自社で開発したデリバリーアプリとも連動させることで、既存のデリバリープラットフォームを占拠している巨大企業との対抗。
アメリカのデリバリープラットフォームは、Doordash, Grubhub, UberEatsの3強体制となっていますが、こうしたサイトに掲載することでお客さんを獲得することができる一方で、高額手数料に苦しんでいるレストランが多いのが実情です。
既に250ものゴーストキッチンブランドを擁するC3は、自社のアプリから直接注文を受ける仕組みを、今後開く実店舗のゴーストキッチン形態のレストランにも導入し、他社のデリバリープラットフォームからの手数料の回避を狙っているようです。
まとめ
レストラン業界の間では旬なビジネスモデルであるゴーストキッチンですが、ゴーストの名の通り、レストラン利用者にはその実態が全く分からないのがゴーストキッチンの面白い点かもしれません。既存のレストランビジネスが好調であれば誰も熱心に取り組まなかったであろうゴーストキッチンが、今やここまで進化し、ニューノーマルのレストラン業界を語る上でも欠かせない存在になっている背景には、逆境の中でも柔軟な発想でリスクを恐れないアメリカ人のチャレンジ精神も大きく関係していると思います。