カナダは、過去10年間でCA$1 Billion (10億ドル) 以上の投資を行い、量子技術産業の育成に注力。量子アニーリング方式の量子コンピュータを世界で初めて商用化したD-Waveや、室温で動作する光量子コンピュータの先駆的存在であるXANADUをはじめ、カナダ全土で多様な量子関連企業が生まれています。
また、2019年にはカナダで量子技術を開発する最有力24企業がカナダ量子産業協会(Quantum Industry Canada)を組成し、政府も今後7年間で CA$3.6 (36億ドル) の国家予算を投じる旨発表しています。
今回はカナダ大使館主催のオンラインイベント「カナダ全土から語る量子技術のミライ」が開催されました。本記事ではその要旨をまとめました。
カナダの量子関連の取組みを知りたい方は是非ご覧ください。
目次
カナダ全土における量子技術の強み
カルガリー大学量子科学技術研究所長(Alberta)
今回のウェビナーイベントの初めに Calgary University Institute for Quantum Science and TechnologyのDirectorであり、Quantum Alberta のLead Investigator (主任研究員)としてアルバータ州全体の量子技術の普及に尽力しているバリー・サンダース氏よりカナダ全土における量子技術の強みの話がありました。
まず、カナダの取り組みの話の前に世界的な量子技術への取り組みについて紹介されました。
オランダ | Quantum Delta NL 2021年に発足されたファンド。量子技術の投資を行っている。 |
シンガポール | Quantum SG シンガポールでのエコシステム構築に投資。シンガポールは初期段階で国を上げて量子技術に投資を行ってきた。 |
イギリス | UK National Quantum Technologies Programme スタートしてから7年。実績も豊富。 |
アメリカ | National Quantum Initiative 2018年に発足。$1.2 Million規模。 |
上記以外にも中国、イスラエル、フランス、オーストリア、ドイツ、インドで積極的に量子技術の投資が行われているとのこと。
また、政府だけではなく企業レベルでの取り組みも盛んです。
アメリカでは、GoogleやIBM、QDTI、中国では百度、アリババ、Origin Quantum、日本では東芝、日立、NTTなどが量子技術に投資しています。
IBMも積極的に量子分野に投資をしている
また、世界的に量子技術を活用する取り組みが行われていますが、どこの国も以下4つの柱が軸になるとのこと。
4つの柱
- Quantum Sensing (量子センサー)
- Quantum Communication (量子コミュニケーション)
- Quantum Simulation (量子シミュレーション)
- Quantum Computation (量子演算)
そして、量子の各領域の活用状況については以下のような説明がありました。
Quantum Sensing (量子センサー) | 主に計測・検知・制御の部分で適用 他にもグローバルクロックネットワーク、GPSや弱光検知・イメージングに活用可能。今後も、計測対象を慎重に選択し、ノイズの発生方法に注意する必要がある。 この量子センサーの領域は既に活用された製品・サービスも存在し、短期的に成果が見込める領域。すでに恩恵を受けているエリア。 |
Quantum Communication (量子コミュニケーション) | 量子コミュニケーションはセキュリティ領域の強化(量子暗号)や1度のデータ通信により多くの情報を詰め込めることができるようになる。 これら量子コミュニケーションの領域は中期的に成果が見込める領域と説明。技術は成熟してきており、実際にこれらの技術を使った製品やサービスが開発されている。ただし、技術のスケール化という課題を抱えている点や、セキュリティの分野では専門家による後押しがまだもらえていない状況。 |
Quantum Computation (量子演算) | 量子演算の領域では、1) 量子検索: 構造化されていないデータベースの検索の高速化、2) 周期探索: 暗号解読、素因数分解など (これらの適用には大きな量子コンピュータが必要となるなど、実現には様々な課題がある)、3) 現在の商用量子コンピュータの最適化がある。 この領域は活用までには長期がかかる。すでに商用の量子コンピュータはあるが、量子コンピュータを活用するアプリが不足しており、 量子コンピュータでないと解決できない課題解決や応用方法が未知数。最後に、様々なところで適用が進められているが、まだまだ科学的な観点・事業的な観点から研究が必要。 |
2021年現在、世界各国で量子技術に対して積極的な投資を行っていますが、その中でもカナダの量子技術研究の歴史を長く、36年前にさかのぼります。
- 1984年: IBMのチャーリー・ベネットがカナダのジール・ブラッサードで共著で論文「Quantum Cryptography: Public Key Distribution And Coin Tossing」を書いた。Quantum Cryptography (量子暗号)への扉を開くきっかけとなった。
- 1993年: ジール・ブラッサードとマギル大学のクロード・クルポー教授が書いた量子テレポーテーションに関する論文「Teleporting an unknown quantum state via dual classical and Einstein-Podolsky-Rosen channels」をまとめた
- 1995年: ブリティッシュコロンビア大学 (UBC)のビル・アンルー教授が量子力学の脆弱性と対策の必要性をまとめた「Maintaining coherance in quantum computers」によって、量子エラー訂正に関する重要な考察を示唆
- 同じく1995年に、量子コンピュータ構築に必要な部品とスケールアップの方法をまとめた「Elementary gates for quantum computation」を発表。共著の中に当時カルガリー大学に在籍し、今はウォータールー大学の教授のリチャード・クリーヴ氏もいた。
- 1999年: 初の量子コンピューティング企業 D-Waveが設立
量子技術の取組みに関して、カナダでは主にオンタリオ州、ケベック州に集中しており、他にもブリティッシュコロンビア州、アルバータ州でも取組みが加速しています。
プレゼンテーションの最後に、量子技術の発展には熱意・工夫・設備などまだまだ多大なリソースが必要で、そのためには各国間、企業間で協力しながら行う必要があるとの説明がありました。
2020年にカナダはイギリスとコラボレーションをし、世界初の量子技術プログラムを立ち上げ、8つのプロジェクトに対して資金援助を行いました。
今後は日本とカナダ間の協業を期待しているとのことでした。
カナダ政府による量子イノベーションのサポート
カナダビジネス開発銀行 シニアパートナー(Ontario)
次の投資では、カナダ政府の量子技術への投資について、カナダビジネス開発銀行 (Business Development Bank of Canada) のパートナー、ダンカン・スチュワート氏より話がありました。
カナダビジネス開発銀行 (Business Development Bank of Canada) は起業家のための銀行。
融資やアドバイザリーサービスはもちろん、カナダで最も大きいベンチャーキャピタルとしての役割を担い、また同時にカナダ政府の金融施策とスタートアップとの架け橋にもなっています。
これまで、カナダ政府は量子技術の研究に多額の費用を投資してきました。そのおかげで量子技術において高い地位を築くことに成功。
例えば、ブリティッシュコロンビア州の量子コンピューターのスタートアップ D-Waveでは、128以上の特許を出願しており、量子関連の特許出願数のトップ7で唯一のスタートアップの会社となります。
D-Waveを皮切りに、今では他にもたくさんの量子技術関連のスタートアップが生まれています。
カナダ政府の主な取り組みとして、資金援助があります。
量子領域に関する基礎研究に関する資金は以下4つの団体を経由して行われています。
1. NSERC
物理の科学研究に関するリサーチやイノベーションに資金提供を行う。2006年から2015年の間でCA$267.2 millionのアワードを提供。
2. Canada Foundation for Innovation (CFI)
NSERCとは異なり、設備・ラボ・データベース・コンピューターのハードとソフトウェアなどインフラ整備に注力したプログラム。2006年から現在に至るまで、量子分野で CA$100 Million 程度のファンディングを実行。
3. Canadian Institute for Advanced Research (CIFAR)
トップクラスの研究者を集めるための小規模ファンド。トップクラスの研究者のみ資金提供を行う。以下2つのプログラムを運用
- The Quantum Materials Programm (1987年から)
- The Quantum Information Science Program (2002年から)
4. Canada First Research Excellence Fund (CFREF)
前述のNSERCも関与しているファンド。主に以下3つの研究施設に対して集中的に投資をしている。
Transformative Quantum Technologies (TQT) | University of Waterloo (ウォータールー大学) の施設内に所在 量子コンピューターとセンシングの研究 CFREFからは CA$76 Millionを投資 |
Stewart Blusson Quantum Matter Institute | University of British Columbia (ブリティッシュコロンビア大学)の施設内に所在 量子素材の研究 CFREFからは CA$66 Millionを投資 |
Institut Quantique | University of Sherbrooke (シェルブルック大学) 量子情報とエンジニアリングの研究 CFREFからは CA$33 Millionを投資 |
また、研究機関だけではなく、スモールビジネスへの投資も積極的に行っています。
以下が代表的なプログラム。
1. Industrial Research Assistance Program (IRAP)
小規模の研究機関に対して、返済不要の補助金を提供。
2. Export Development Canada (EDC)
輸出関連の事業に資金提供。
3. Innovation Solution Canada
プロトタイプの作成・実環境でのテストに対し資金提供。最近になって立ち上げたスタートアップ支援プログラム。
4. Innovation for Defense Excellence and Security
国防関連のテックイノベーションに対して資金提供。こちらも最近になって立ち上げたスタートアップ支援プログラム。
カナダではスタートアップへの資金提供も積極的に行っている。
いずれも量子技術に特化したプログラムではないが、近年、量子関連のプロポーザルの申請数が増えているとのこと。
また、州レベルではブリティッシュコロンビア、アルバータ、オンタリオ、ケベックも量子技術の促進をするプログラムを運用しています。
ケベック州 |
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ブリティッシュコロンビア州 |
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オンタリオ州 |
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アルバータ州 |
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有望な量子スタートアップの育成プログラム: Creative Destruction Lab Quantum
トロント大学経営大学院准教授(Ontario)
次にスタートアップの育成プログラム Creative Destuction Lab (以下、CDL) を運営しているトロント大学経営大学院准教授のフランシスコ・ボヴァ氏より、CDLの取り組みについて紹介がありました。
CDLはトロント大学のジェイ・アグワラル教授によって設立。組織の目的としては、科学の商用化によって人類に貢献すること。シード段階の企業に対して、9ヶ月の目標ベースのプログラムを提供し、シード企業が今後スケールできる会社になるように育成していきます。
プログラムのコア部分にあるのは目標設定。プログラムのスタート時には目標設定のために、5日間フルタイムでのメンターとのオンサイトセッションが行われます。
一日の流れとしては、朝、小さなグループでメンター達と話し合いを行います。メンターの中には科学者、経済学者、エンジェル投資家、現役の起業家や起業経験者などがいます。午後になると、起業家はメンター全員とより大規模な議論を行います。10〜12分ほど、司会・進行つきの議論を行います。
セッションの最後に、6〜8週間先の達成すべき3つの目標が与えられ、その目標達成に向けて動きます。そして、6〜8週間後に起業家は再度メンターと集まり、進捗確認と新規の目標設定を行います。
この目標設定をベースにすすめていくのは他にはない取り組みだそうです。
経験豊富なメンターによって、起業家のアイデアがブラッシュアップされる (写真はイメージ)
CDLの拠点は世界に9つ。そのうち5つがカナダにあり、バンクーバー、カルガリー、トロント、モントリオール、ハリファックスに拠点があります。それぞれ、地域に関連したテーマに携わる場合や特定技術に特化したものもあります。例えば、AI、ブロックチェーン、そして量子の分野です。
量子に特化したプログラムを提供しているのがトロントに拠点がある CDL Quantum。
量子技術を使った機械学習の専門家であるPeter Wittek (ピーター・ウィテック)により、4年前の2017年に設立されました。
CDL Quantumでは4週間の技術研修のブートキャンプを行います。
実際にCDL Quantumの技術パートナーと仕事をし、科学者からトレーニングを受けます。
さらに戦略・経済学・財務・経営などのビジネスサイドの教育もうけることができます。
CDL Quantumの実績は下記の通り
- 過去4年間で、合計30カ国83社のアーリーステージ企業を支援
- Quantum Computing Reportによると、世界で量子関連のスタートアップは193社存在するが、その掲載されている企業のうち 26% (55社/193社)がCDLの卒業生が関わっている。
- 世界中でCA$100 Millionの資金調達を行い、400以上の雇用を創出
- トロントだけでも20社のスタートアップを輩出。
プレゼンテーションの最後にこれまでの歩みについて話がありました。
毎年、新たな技術パートナー・メンターを増やすことでプログラムの質を向上し、量子技術関連の有名なスタートアップを輩出しています。
2017 (設立初年度)
技術パートナー | D-Wave (量子コンピューター) Rigetti (量子コンピューター) |
メンター | 科学者メンター: Peter Wittek, Roger Melko, Michele Mosca 非科学者メンター: |
卒業生 (一例) | 1. 創薬に量子技術を活用した ProteinQure 2. 有機ELディスプレイの材料開発に量子技術を活用した OTI Lumionics 3. 製造業の問題解決に量子を活用した SolidState AI |
2018
技術パートナー | D-Wave (量子コンピューター) Rigetti (量子コンピューター) Xanadu (量子コンピューター) |
メンター | 科学者メンター: Peter Wittek, Roger Melko, Michele Mosca, Duncan Stewart, Joyce Poon, Barry Sanders 非科学者メンター: |
卒業生 (一例) | 1. クラウドで量子コンピューターを利用する際のセキュリティ強化のソフトウェア: Agnostiq 2. タンパク質デザインに量子技術を活用した Menten AI 3. 難解な問題を量子コンピューター上で解決する BEIT |
2019
技術パートナー | D-Wave (量子コンピューター) Rigetti (量子コンピューター) Xanadu (量子コンピューター) IBM Q (量子コンピューター) |
メンター | 科学者メンター: Peter Wittek, Roger Melko, Michele Mosca, Duncan Stewart, Joyce Poon, Barry Sanders Artur Izamaylov 非科学者メンター: |
卒業生 (一例) | 1. ダイヤモンド磁気センサーを開発した量子センシングの第一人者: SBQuantum 2. 金融の難解な問題解決に量子を活用した Multiverse Computing 3. 量子コンピューターの開発を行う Orca Computing |
2020
技術パートナー | D-Wave (量子コンピューター) Rigetti (量子コンピューター) Xanadu (量子コンピューター) IBM Q (量子コンピューター) Zapata (量子コンピューターのソフトウェア) |
メンター | 科学者メンター: Peter Wittek, Roger Melko, Michele Mosca, Duncan Stewart, Joyce Poon, Barry Sanders Artur Izamaylov Phil Kaye 非科学者メンター: |
卒業生 (一例) | 1. 量子鍵配送のハードウェア Ki3 Photonics 2. イオントラップ型量子コンピューターを製造する Alpine Qunatum Technologies 3. AIと量子を組み合わせた創薬を行う Kuano |
ケベック州のシャーベルック市の量子技術の研究開発の環境とInstitut Quantique (IQ)
シャーブルック大学量子研究所副所長(Quebec)
最後のプレゼンテーションとして、ケベック州の Sherbrooke (シャーべルック市) の量子技術の研究開発の取組みが紹介されました。
ミシェル・ピオロ-ラドリエール氏によると、ケベック州では各市がそれぞれ強みを持っているとのこと。お互いの強みを補完しあい、量子技術の発展に貢献しています。
- Gatineau (ガティノー市) ではサイバーセキュリティが強み
- Montreal (モントリオール市)では金融、そしてAIに強み
- Quebec (ケベック市)では 光学・フォトニクスが強み
- Sherbrooke (シャーベルック市)は量子技術に強み
また、ケベック州では経済戦略の一環として各自治体にイノベーションゾーンの創設を促進しており、その取組みに対して資金援助を行っています。
シャーベルック市では量子技術のイノベーションゾーンを設立。
そのゾーン内の中心にあるのが、シャーベルック大学。その大学の構内にあるのが、Institut Quantique (以下、IQ)となります。
IQは世界でも数少ない量子化学・量子技術の学術組織で、過去10年でCA$80 Million の投資を受けており、200人の教授、研究員、学生で構成されています。
注目すべきポイントは科学領域から技術領域への転換を学生や博士研究員が担うという点です。重要なポストを学生や研究員が担う理由の背景には、教育プログラムの質が飛躍的に向上することがあります。
さらに、学生や博士研究員にIQの資金を提供し、研究者として成長するだけではなく、起業への道も用意しています。
ミシェル・ピオロ-ラドリエール氏によると、量子のエコシステムを構築するのに一番重要なのが人材、特に若手人材の育成で、若手人材がシャーベルック市のエコシステムにとどまるよう、このような取組みを行っているとのこと。
ケベック州の牧歌的な街並みも魅力の一つ
実際に、The New York Timesを記事によると、テック業界の人材不足が起こるのは量子技術の領域だと指摘しており、量子人材の囲い込みのためにあらゆる取組みを行っています。
例えば上記以外にも、IQでは教育プログラムに力を入れており、以下のような取組みが行われているのも魅力の一つです。
- 学部レベルから、量子コンピューターの専門プログラムを用意
- 高性能のコンピューター、IBM Q Hubへのアクセスも提供 (カナダでは唯一)。IBMの最先端量子システムにアクセスし、研究・コミュニティ形成・学習を行います。
- Integrated Innovation Chainという試作品の制作施設を用意し、実用化の支援を行っている。これまでCA$1 Billionが投資されました (産業界からは全体の6割)
まとめ
今回はカナダ全体の量子技術への取組みをご紹介しました。
また、本ウェビナーでは同時にピッチイベントが行われ、以下の企業が参加しました。
最先端の機械学習と量子機械学習を活用し、これまで解決困難であった金融取引に関連する問題に応用できるソリューションを提供。
2. Anyon Systems
超伝導量子処理装置 (QPU)や量子制御エレクトロニクスの設計・製造を行う。
3. Cogniframe
機械学習と量子最適化を用いて企業・団体・機関の成果向上を支援。
4. D-Wave Systems
世界初の企業向けに開発された量子コンピューター。ユーザーが開発した250以上の先駆的な量子アプリケーションの事例あり。
5. NetraMark
量子機械学習 (QML)と機械学習 (ML)のアルゴリズムを分野横断的な専門知識と組み合わせて提供。
6. Solid State AI
量子機械学習を利用し、製造業における生産歩留まりと設備全体の効率性を向上。
7. Xanadu
光ネットワーク上の情報伝達能力を活用したシリコン系半導体ベースの大規模な量子コンピューター。
8. Zapata computing
企業への導入を目的とした量子対応のアプリケーションを構築。
9. 1Qbit
問題を特定し解決するため、従来型と量子型のハードウェア上で作動するソフトウェアを構築。
今後もこういう取り組みが増えることで、日本とカナダ間でのコラボレーションが増えることに期待です。