今回はアメリカ・ロサンゼルスにお邪魔して、ロサンゼルスで起業されたZero-Hachi Rock, Inc.代表 板倉さんにインタビューをさせて頂きました。起業後の苦労話や成功の秘訣を中心にお話を伺いました。
Profile:
板倉 光孝(Mitsu Itakura)
21歳で渡米。当時所属していたバンドの活動範囲を広げるにはという観点から、メディア運営に興味を持ち始めビジネスの世界へ。日系のメディア運営会社にてオンライン広告営業を11年間経験した後、2016年1月、米国法人Zero-Hachi Rock, Inc.を起業。ロサンゼルスを拠点に、日系企業の米国進出支援をメイン業務として活躍中。
[インタビュー前編]
[インタビュー後編]
(※以下では、インタビュー内容を要約して文章に起こしました。)
野村:
今は起業されてどのくらいですか?
板倉さん:
2016年の頭なので丸3年です。ずっと走りっぱなしですね。笑
野村:
ご自身のウェブサイトに加えて「1%の情熱ものがたり」を運営されていますね。
板倉さん:
1%の情熱ものがたりはPodcast 番組なのですが、海外で活躍いる日本人の方々のインタビューを配信しています。「1%」というのは海外に住んでいる日本人の割合です。
僕はその1%に価値があると思っています。「どうやって生活しているのか?」「どうして海外に来たのか?」など、世界中に飛び出している人の話を、日本にいる99%の人に楽しんでもらえたらいいなと。
目次
21歳で渡米。なぜロサンゼルスへ
野村:
初めに、なぜロサンゼルスだったのですか?
板倉さん:
ロサンゼルスに来た理由は、サーフィンとバンドをやりたかったからです。笑 バンドだけで生活できたら良かったんですが、そうもいかなくて。どうしたらCDが売れるかなと考えました。
行き着いたのが自分達でメディアを持つのが強いという事。そのメディアに「このバンドがかっこいい」と発信したり、イベントを企画してそのトリで自分たちが演奏する!目立つじゃないですか?笑
野村:
そうですね。目立ちますね。笑
板倉さん:
それがやりたくてメディアに興味を持ち出しました。最初は紙媒体でやろうとしてたのですが、調べたら毎月印刷代がかかるということが分かって。そんな予算は無いのでインターネットに方向転換しました。
前職との出会い。起業のきっかけとなったジレンマとは?
野村:
勤めていた会社とはどのように出会ったのですか?
板倉さん:
その時企画の一つとして社長さんへのインタビュー記事考えていて、たまたま前職の社長と出会ったんです。話を伺わせて頂いたのですが、その記事にダメ出しを食らったんですよ。笑
「こんなんで金もらえると思ってんのか!」と。厳しい意見をもらったんですけど、結局その会社で営業として働かせて頂くことになったんです。
野村:
そういう出会いだったんですね。
板倉さん:
そこでは広告営業を11年間やらせてもらいました。日系企業のお客さんが多かったのですが、皆さん「集客」で悩んでいたんです。
ソーシャルメディアやブログを書く、自分でチャンネルを持つなど色々提案は出来るのですが、その会社にいる限り僕はネットの広告を売るのが仕事なんですね。
だんだんジレンマが出てきたんです。お客さんのために、幅広い提案がしたいという気持ちが出てきて、それが独立を考えるきっかけになりました。
いざ起業!準備段階で苦労したことは?
野村:
日本人がカリフォルニア州で起業するというのは、事務的・法律的な問題など、大変な事が多いと思うのですが、準備段階では何が一番大変でしたか?
板倉さん:
正直僕にとってはさほどでした。笑 手続き系は任せちゃうタイプなので。もちろん会社の形態はどれが良いのかなど色々調べました。後々ビザを取るならこれがいいとか。
経理はソフトウェアがあるし、最近は銀行もソフトウェアが充実しています。未だに社員はいなくて、チームで仕事をしているんですけど、実はオフィスも必要無いという感じです。
パソコンがあって必要なソフトウェアがあれば、もうそれで会社として成り立つんですね。逆に楽だなという感じでした。
野村:
設立の手続きは、現地の司法書士の方(英語話者)に任せましたか?
板倉さん:
僕は日系の方にお願いしました。職業柄、色々な所に顔を出していて、個人的にこの人にお願いしたいというのがあったので、会計士・弁護士さんともに決めていました。
「生き様」にフォーカスしたインタビューで広げたコネクション
野村:
僕のイメージでは「ロサンゼルス=板倉さん」というくらい、色々な所でコネクションを作られていると思うのですが、どのように作られたのですか?
板倉さん:
僕は途中から「広告どうですか?」という営業スタイルはやめました。そのかわりに、インタビューでアポを取るという方式に変えたことで、色々な人に会って話を聞くという機会が増えました。その時に頂いたコネクションが大きいです。
野村:
今も「1%の情熱ものがたり」でコネクションを広げていっているという感じですか?
板倉さん:
そうですね。その意味もあります。普段会えない人に会えたり、インタビューという形式なので深く突っ込んで話ができるという良い所もあります。
野村:
いきなりだと「誰だ!」となりますもんね。笑
板倉さん:
会社の理念として、人の生き様、心を軸とした価値創造というキーワードを掲げてます。色々な人の話を聞いていると、会社自体も人の器を表しているというか。イーロン・マスクが何したとか、ホリエモンが何したとか。
野村:
イーロン・マスクは日本にいてもよく話を聞きますね。根強いフォロワーも多いです。
板倉さん:
その魅力を研究したいという思いもあります。なので、インタビューしてどんなモチベーションで会社を立ち上げたのかなど聞いて発信しています。
インタビューで感銘を受けた「やるべき事がある幸せ」という考え方
野村:
具体的にこういう話を聞けて面白かったというのはありますか?
板倉さん:
リタイアした方のお話で「今日起きてやることがあるというのが一番幸せ」と言ってました。僕らはその発想ないですよね?
野村:
そうですね、逆に「あれやんないと!これやんないと!」って感じですもんね。笑
板倉さん:
自分の親父も定年なんですよ。やる事なくなっちゃうんじゃないかってちょっと心配です。
極端な話をすると、「会社に行ってやるべき事をやらされているのか」 「本当に自分がやりたくてやっているのか」という話にもつながってくるかなと思います。
僕もまだ人生の目的みたいなのを探し続けるんですけど、きっと持っている方がハッピーなのかなと思います。
野村:
これも極端な例ですが、日本の大企業で勤めていた方が、リタイア後にポッカリ穴があいてしまうなんてイメージがありますね。
板倉さん:
大変な事も多いですが、力尽きるまでやりたい事やれるのはハッピーです。
起業後、初めてのクライアントを獲得した方法とは?
野村:
コネクションはあっても新規でお客さんを取っていくのは大変だったんじゃないでしょうか?初めてのクライアント獲得はどうでしたか?
板倉さん:
僕の場合は先にインタビューしちゃう。これが必要なんですね。そして「僕できますよ」と後から提案できる。集客などのニーズがあるというのがわかっていたので、最初バラバラしていたものをパッケージ化して、売っていきましたね。
野村:
ベンダー側(アウトソース依頼先)はどのように探しましたか?
板倉さん:
それも人のコネクションがメインですね。
あとは周りにいて気になる人に声を掛けてました。野村さんとのコネクションも、僕は色々お願いしたいと思って声を掛けましたからね。
日本側とアメリカ側のGAPを実感。起業後に実際に苦労した事とは?
野村:
実際に進めていくうちに苦労した事はありますか?
板倉さん:
プレッシャーとストレスのバランスが変わりました。会社にいた時はほとんどプレッシャーは無かったです。ただストレスはありました。
起業した途端、ストレスは無いけど、プレッシャーや不安が大きくなりました。悩むこともありますけど、楽観主義なので海に入れば忘れます。笑
野村:
アウトソースする場合、現地の人に頼みますよね。コーディネートする時に、日本側と現地側で噛み合わないことがありましたか?
板倉さん:
それですね!日本側の要望を聞きながら、現地のやり方で進めるのが一番大変ですね!笑 日本の本社が現地の状況を知らないので、駐在員の方がいつも挟まれてますね。
例えば5時に現地の社員が帰ったら、日本本社からは「なんで帰したんだ!」って。こちらでは法律違反ですからね。ファミリーファーストですし。
野村:
なるほど。こちらは本当に家族ファーストを実践していますよね。
日本流の押し付けは厳禁。個々のパフォーマンスを上げる方法とは?
野村:
優先順位の違いや文化の違いはありますよね。
板倉さん:
そうですね。ただ、全員が全員家族ファーストではないし、すごく仕事する人もいますけどね。
そういう経験も含め、モチベーションを上げるポイントを見出すことを意識しています。逆に考えると、無理矢理やらせるよりも、仕事がバリバリ頑張れる状況を作ってあげた方が、パフォーマンスが上がるんですよ。
野村:
どのような事でモチベーションを上げようとされましたか?
板倉さん:
若い時は「お金」もありますが、自己実現も重要だと思います。
例えばWeb制作をしている人とお客さんの喜んだ姿をつなげてあげるとか、ライターさんに反応を共有するとか。「誰かのためになっている」という事を共有しようと意識しています。
アメリカ進出を狙う日系企業の課題とは?
野村:
アメリカ進出を狙う日系企業にとって課題はありますか?
板倉さん:
人材確保という面で、働き方の違いを理解することは重要ですね。こちらではリモートも普通、プロジェクトごとに人をつける形も増えています。
そしてビザの問題。ずっと働いていて欲しいのに、抽選で落ちて更新できなかったとか。日系企業はビザの更新の度に費用がかかる、抽選もあるという点はアメリカ企業と比較して不利ですよね。
今はテクノロジーが発達したお陰で、例えばライター業なんかはアメリカにいなくても出来ますけどね。
野村:
そうですね。僕も実はお会いするの初めてですもんね。
ただ日系企業はまだまだ昔ながらの働き方を推奨しているところも多いなと感じます。新しいやり方にアダプトしていくのは難しいですか?
板倉さん:
世代交代できるかどうか、若い人に任せられるかどうかですよね。昔の働き方をしてきた人達に、いきなり「変わりなさい!」と言うのは難しいと思うので。出来る人に任せられるかですね。
野村:
アメリカに出ていく若い人の数が少ないと聞きますがどうですか?
板倉さん:
感じますね。現実的にビザの問題がありますね。特に大統領が変わってから。こういうインタビューを見てどんどん出て来て欲しいですね!
野村:
挑戦したい人の受け皿として、本社は日本にあるけれど、実際に動かしていく現地の人を探している企業とのマッチングができたらと考えています。
板倉さん:
それ僕もやりたいんですよ!若い人達に、どんどん挑戦してもらいたいです。
海外起業を成功に導く2つの秘訣
野村:
成功の秘訣を教えてください。
板倉さん:
二つあります。一つは答えを自分たちで決めつけない!現地で調達する、現地で聞く。
例えば食品を例に挙げると「日本でこういう食べ方をしてヒットしたから、アメリカでもヒットするはず」と決めつけると成功しません。こちらにはこちらのやり方がある。日本にずっと住んでた人が「ご飯にバナナ」なんて思いつかないでしょ?
野村:
それは思いつかないですね。笑
板倉さん:
人もそうです。キャッチコピーも現地の人にお願いする。
二つ目は情報・人材・お客さんもスムーズにまわっていくエコシステムを作る事。僕にとってのエコシステムは「インタビュー」です。そこでニーズを汲み取って、サービスを提供していく、さらに人を紹介してもらう。
ビジネス拡大だけでなくて、社内でも同じ事が言えます。例えば、この人がこの仕事をすると、モチベーションが刺激されてもっとパフォーマンスが良くなるとか。
アメリカでは辞めるのは普通なんです。ただ、その人が辞めた時に仕事がまわらないという状況を避けるために社内でも同じように仕組みを作っておく事が重要です。
野村:
やらないと見えてこないことがありますね。
これからの展望について
野村:
今後の展望について教えてください。
板倉さん:
独立時の目標があって、第1フェーズは現地の日系企業の役に立つ事。第2フェーズは米国企業の日本進出を手助けする事。そして第3フェーズとして、アメリカのビジネスを日本に持っていきたい。
「1%の情熱ものがたり」のインタビューをしながら世界中を飛び回って、さらに仕事がもらえるという状況を作りたいです。サーフボードを持って世界中を回れたら最高ですね。
野村:
いいですね!現地で活躍している「隠れ日本人」って実は結構いますよね。
板倉さん:
そうなんですよ!世界中にまだまだたくさんいるという事も知ってるので、その人達の知識や経験を、インタビューを通して伝えていきたいなと思っています。
1%の情熱ものがたりとは別に 「あなたの仕事哲学って何ですか?」という企画も継続しています。目標1,000人のうち現在260人くらいなので当面はそれを目標にしたいですね。
ライブインタビューのノーカット版:
ロサンゼルスの起業家、Mitsu Itakuraさんに聞くアメリカの起業の実際
野村 晶大さんの投稿 2019年3月16日土曜日
(※他のインタビュー動画のノーカット版の一覧はこちらから。)
まとめ
サーフボード片手に渡米、広告営業としての11年間、そして起業・・・と溢れ出るエネルギーやバイタリティをひしひしと感じるインタビューでした。「お客様のために枠に捉われない提案をしたい」という強い思いから起業の道を選び、日本の文化と現地の文化を融合させながら、ビジネスを拡大している姿にとても刺激を受けました。ありがとうございました。